雑記

白いワニに囲まれています。

 何かを残すのはとても難しいこと。形のあるなしに関わらず。

 

 物事に終わりが見えてくると途端に興ざめというか、現実に引き戻される感覚というか、そういったものに襲われる。自分の五感に感知される前の情報、予測の立たない事象、それらは良い方向にも悪い方向にも生活に色をもたらす。

 働き出してからいくつか季節は巡って、社会は大きな変化の潮流にあって、自分を見つめ直すことも増えた。世の中の物事の大半は自分ではどうすることも出来ず、皆大きな流れの中に身を任せたり、時には抗ったり。結局のところ、ゴールはそれぞれ平等に設定されている。

 音楽について。10年くらい楽器を弾き続けている訳だけど一向に上手くならない。最初の3ヶ月くらいが一番上達していた気がする。一人では形にならないものが音楽だと思う。合唱・合奏する人、または聴衆がいてこそ成立する。ベースなんて楽器は尚更。パラダイムシフトの末に待ち受けているものは何か、知ることが出来ないまま終わってしまうだろう。

 世の中には手の届かないものが沢山ある。距離的に触れられないもの、XYZ軸だけじゃなくて四次元的に時間軸でも。同じ形状の雲を目にする事は無い。手に取ることも出来ない。自転と公転をひっくり返すような事は今の人類にはおよそ不可能なので、諦めるしかない。

 

 私が観測している世界は極めて多くの向きの力が働いていて、そのひとつひとつは、実は、ベクトルを変えることすら難しい。思惑は交差し、中心点がぶつかり合う。始点を定めること、終点を定めることだけが可能である。多くの矢印の向きと密度、それとほんのちょっとの時間軸のずれでいわゆる運命は転がっていくのだと思う。前髪の隙間から世界を覗くように、幾重にも重なる線と線から、その向こうの情景がちらっとでも見えてしまったら。きっと日々を歩む、時間の軸を進んでいく勇気が失われてしまうだろう。

 

 進むべき場所なんて実はひとつしか無かったりする。