雑記

白いワニに囲まれています。

焦点距離

 プアマンズライカ、誰が呼んだかは知らないけどひどい呼称だ。たしかに貧乏だけど。

 

 写真機2号機を買いました。Leitz minolta CLという今からおよそ50年近く前に作られたカメラ。露出計不動ということでジャンク価格で。海外ではLeica CLという名前で売られていた。LeicaのM5と同時期くらい?に発売されて、まあ廉価モデルとしてそこそこ売れたみたい。Leitz minoltaブランドは日本限定での販売だったらしく、海外ではプレミアのようになっているらしい、面白いね。

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Ricoh 500G 40mm F2.8 Kodak ColorPlus200にて撮影。モクローかわいい。

 

 これを選んだ理由の9割は見た目で、1割はMマウントというところ。ライカのレンズを使ってみたかった。LeicaのSummitarという5cm(昔は焦点距離をcm表記してたみたい)/F2のレンズも完全ジャンクで買ってみた。こちらは1949年式。カメラの方がかなり歳下。なんとロマンあふれる構成……。まあ沈胴は出来ないんだけれども。Leicaは家が買えるくらい高いとか聞いていたけれど、不人気なものに限って探せばわりとお買い得なものも多少あった。elmar90mmF3.5とか。それでも昔より値段は上昇しているらしい。そりゃ、需要に対して供給がゼロだから、仕方ない話だろう。

 まだ写真を撮りに行けていないんだけれども、実際にちゃんと撮影できるか不安。ダメだったら全てオーバーホールに出してしまおう。状態良いものを買った方がお得だったじゃん、となる未来も見える。

 カメラ本体も、レンズもそうだけど基本的な機構はほとんど狂ってないまま現代に存在し続けてるのがすごいな、と思う。もちろん大事に使用し続けてくださった過去の所有者の方の努力もあるんだけど、そもそもの造り、思想が違う気がする。人間が直せるように出来ているというか。何が正しいのかはわからないけど、iPhoneももっと長持ちすればいいのにな(もしくは長持ちさせられるように内部のパーツを交換可能にするか)。その方が持続可能性が高くなると思うのは、技術から遠く離れた人の戯言なのでしょうか。Ricohの廉価カメラがバンバン使えるのも凄いと思う、なんならそっちの方が凄い。

 

 写真機に写らないものの話をしがち。だけど実際には写真機にしか写せないものもある。あってほしいな。人間の感覚の拡張。持続性と共感性の拡張。だけど受け取る側が存在しないと無意味か。そうだね。音楽や写真、文章、発話、他者への働きかけによって人間は生きる事ができるし、社会もそうやって勝手に維持されてきたのだろう。ある種の永久機関のように転回し続ける社会。政治が維持してきたのではなくて、人と人との物理的、心理的、多次元的接触が社会を形成してきたんだろうな、とボンヤリと思う。うまくいかなかった人は皆死んでしまうね。